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三河の住人の庵

三河の住人の庵

三河一向一揆

家康の家臣が佐々木の上宮寺から兵糧を徴収したことに端を発した 一向一揆。
戦闘は永禄6年10月から7年2月まで続いた。

一揆側は 三河真宗3カ寺と本宗寺が拠点として戦った。

佐々木「上宮寺」 

上宮寺.JPG

針崎「勝鬘寺(しょうまんじ)」 

勝蔓寺.JPG

野寺「本証寺」 

本証寺内堀04.29.JPG

旧本宗寺跡
蓮如上人の三河布教拠点として 七堂伽藍の壮大な寺院だったというが
一揆により壊滅して 跡形も無い。

土呂本宗寺跡.JPG

現在の「本宗寺(ほんしゅうじ)」

本宗寺.JPG
(土呂(岡崎市福岡町)から美合に移して再建)

一揆方は 真宗の僧侶・土民、真宗を奉じる家康の家臣、家康の松平宗家を認めない松平一族、家康に敵対する吉良氏。

土呂本宗寺・針崎勝鬘寺は上和田砦や勝鬘寺で家康方と衝突し、
永禄7年2月 一揆方の家臣を 赦免するとの家康の譲歩により終幕を迎える。

一揆の収拾に功あった大久保一族の発祥の地と その屋敷 上和田城跡

大久保氏発祥碑.JPG

上和田城址.JPG

家康が 家臣たちと 和議を結んだ 浄土宗「浄珠院」は 大久保氏発祥の地のまん前にある。

浄珠院本道.JPG

これらの 場所は 西から東へ
上宮寺-上和田城-浄珠院-勝鬘寺-本宗寺と直線上 6kmの地点にある。
本証寺は 中間の上和田から南 8kmほどである。

狭い範囲での激しい戦いであったことに 驚きを感じる。






  






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